禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

第41回 禅体験会第二講「禅とこころ」①

毎年,4週にわたって坐禅初心者向けに行ってきた「禅体験会」(旧:禅体験教室)ですが残念ですが今年は新型肺炎の影響で中止となりました。

コミュニティセンターが一部使用可能になったとは言え,ベテラン会員の皆さんも椅子坐禅に戸惑う中,和室が使えるようになるめどが立たないために止む無く中止となりました。

ただ41年間も続いてきた初心者向け講習会が途絶えてしまうのも残念でありますし,3月以降,円覚寺はじめいろいろなネット上での情報や活動を紹介してばかりが続き,人の褌ばかりお借りしているとの反省もあり,自分からも発信しなくてはと思いました。

非常に未熟で恥ずかしいのですが昨年6月に自分が担当した発表用原稿が残っておりますので多少手を加え皆さんにもご覧いただければと思います。  

ご意見,ご質問は歓迎ですが,転載・引用はご勘弁くださいませ。

 

こちらの禅と茶の集いはご案内のように40年続いている市民サークルなんですが私の坐禅歴はその1/10でしてまだ4年です。

そんなわけで、とても皆様の前で坐禅の話などできる立場ではないのですが、おととしの企画会議の際に、数十年の坐禅歴の方ばかりでは初心者の方がひいてしまうのではないか?坐禅して日の浅い講師が一人くらいいた方が聞いている方も親近感を持っていただけるのではと提案したんですね。

 

そしたら、「じゃあYmさんやりなさいよ!」ってことになってしまったんです。

まさしく「語るの落ちる」というやつです。

「禅と心」というテーマでお話ししますが、私自身がどうして坐禅に興味をもったのか、何を体験し何を考えて、そして今日まで続けているかと言う個人的な体験談をお話させて頂きます。

 

なので肩肘張らず、お気楽お気軽にお聞きいただければと思います。

まず最初に皆様方に一言づつでいいんですが、「禅と聞いて何をイメージするかお聞きしたいのでのですが,,,

Aさん:お寺です。

Bさん:心を落ち着かせる。

Cさん:お寺か,お坊さん。

Dさん:私も最近お坊さんとお付き合いするようになりました。

 

ありがとうございます。

私が初めて禅と出会ったのは実は「浮浪雲」という漫画でした。

高校生時代に進路に悩んでいた頃に、漫画を通してですが禅にふれて通常とは違う価値観に驚いたり、心休まるような魅力を感じたりしたものです。

それからしばらくは学業や仕事に夢中になり忘れていたんですが、50を過ぎて色々な人間関係に疲れたり悩んだりするようになったり,不眠や、集中力の欠如などでポカミスが続くなどコリャイカンぁとなりました。

でも「うつ病」ってわけではなさそうだし,,,といろいろ悩んだ末に「そうだ!坐禅があったなぁ」と思いだしたんです。

私どもの世代はオーム真理教などで宗教は怖いものというアレルギー反応がありますから悩んだからと言ってすぐに宗教という発想はなく、できるだけ宗教色の薄い、何か精神修養的な坐禅に引かれたんだと思います。

 

4年前から社会人のための坐禅道場に通い始め、そこでこの「禅と茶の集い」と言う市民サークルがあることも知り,毎週のように通いだしました。

また2年前から北鎌倉の円覚寺や東京の白山道場という臨済宗のお寺で坐禅も体験してきております。

 

そこで今回の発表に合わせて4年間にわたる自分の体験や感想を振りかえり、私以外の人たちにも参考になりそうな現代の禅の意義や、禅と心というものについて厚かましくも考えてみました。