禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅修行の階梯を考える(37)「禅と茶の集い」便り(318)

来月から一都三県が再々度,緊急事態宣言となることが決定された夜となりました。

第4週が祝日となったため2週間ぶりの禅と茶の集いですが,太田先生のワークショップでもあり9名参加と言う大盛況でありました。

 

一番うれしいのは今年の坐禅体験会に出席してくれたSkさんが定例会に初参加してくれたことです。

 

17時から早めに到着した会員による自主的な随座が始まり,太田先生が到着した後はガイダンス付きの坐禅ワークショップとなります。

今日は「数息観」→「凝念」→「身体感覚」と3段階の坐禅ワークを履修しました。

 

18時過ぎに会員が内揃ったところで「社会人の禅修行階梯を考える」テキストの続編が配布されました。

すでに103頁までは頂いていましたが,104~199頁までの大作で太田先生によると「これで一般公開分のテキストはお終い,私の遺言です」とのことでした。

「遺言なんて縁起でもない」といぶかる会員を前に,「寝付けない時,読むとよく眠れるよ」と冗談付きで相変わらずの太田先生です。

 

さてさてコロナ自粛下で,太田先生の筆は走りテキスト執筆はずいぶん進みましたが講義はまだまだ53~58頁と先は長いです。

 

本日の講義は「視覚の機能」について「立体視」「平行視」が中心となりましたが,それに先立ち「真空妙有」の話がありました。

この「真空妙有」とは一般の仏教用語としては般若心経の講義の際に次のように解説されることが多いようです。

 

「空」とは何もないという意味ではない。

すべてのものは厳然として存在しながら(妙有)、しかもそれらすべてが因縁によって生じた現象であって、それ自体に何らかの実体があるわけではない。(真空)

 

 

太田先生からは耕雲庵老大師の『新編 無門関提唱』「牛過窓櫺」を紹介して頂いたので,帰宅してから読んでみましたが優しい言葉ではあるけどまったく理解できない文章が続いております。

 

それもそのはず,調べましたらこの則は千七百とも言われる公案の中でも特に八大難透と言われているそうです。

 

老大師はこの章の文末に「真空妙有の総ざらいはこれくらいにしておく」とありますが,太田先生も耕雲庵老大師もお人が悪い・・・(Ym)

 

※来月以降の予定は追ってお知らせ予定ですが,会場の関係でしばらく休会の可能性もあることご了承ください。

その際は,慌てず騒がず自宅自室で坐禅の独習いたしましょう。