禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

初心者の心 「禅と茶の集い」だより(104)

今日(3月4日)の禅と茶の集いは、6時からの読書会から始まりました。
 
前回から、「禅マインド ビギナーズ・マインド」を読んでいます。
今日は、プロローグから改めて読み始めました。
 
禅の修行においては初心者のこころを保つことが大切だということが繰り返し強調されています。
 
修行そのものを混じりけのない純粋なものにしておくことが難しい。
 
確かに、今の自分の生活や禅への態度を顧みると、いろいろな経験や本を読むことになどによって知識は増えたかもしれませんが、老師の言う初心者の持っている無限の可能性や純粋さを失っているかもしれません。
 
次の言葉が胸に響きました。
 
 初心者の「初心」には、「何かを得た」というような思考がありません。どのような自分中心の思考も、無限に広い心の中に限界をつくります。なにかを達成したいとか達成したというような心がないとき、つまり自分中心の思考がないとき、私たちは本当の初心者なのです。このとき、私たちは初めてなにかを学ぶことができます。初心者の心は、すべてを受け入れる慈悲の心でもあります。
(後略)
 
自分が初心者の心を失いつつあったせいかもしれませんが、「初心者の心は、慈悲の心でもある」といところが印象に残りました
 
 
次はお茶の時間です。
今日は森本さんのお点前でしたが、最近お茶を習い始めたYさんが積極的に手伝ってくれました。
 
お菓子は「京観世」でした。
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お茶の後は、体をほぐしてから坐禅をしました。
 
 
来週(11日)は、7時から2炷香(45分×2回)のです。
 
途中からの参加も大丈夫です。
 
お待ちしています。
  
義存