禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

震災5年に思う 「禅と茶の集い」だより(105)

今日(3月11日)は、あの東日本大震災から5年目です。
 
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、まだ避難生活を続けている方にお見舞いを申し上げます。
 
まだ、6万人近い方が仮設住宅に住み17万人以上の方が避難生活を続けているという報道に接し、自分の認識の甘さを恥じ入ります。
 
千葉県でも亡くなられた方もいるし、自宅近くの埋め立て地では液状化現象により多くの被害が出ました。
でも今の生活を顧みても当時のことは日に日に薄れていっているというのが実感です。
 
ここ数日の報道で、まだまだ震災は終わっていないのだと改めて思いました。
 
経済が停滞しているとはいえ、都会ではネオンが輝き多くの人が震災前と変わらない生活をしています。
 
震災を教訓として防災の意識を高めるというのは当然だと思いますが、そのうえでどのようにライフスタイルを見つめなおしていくかということが大切だと思います。
 
この地球に生きている限り地震は起こるし火山も噴火する。
地球にとっては当たり前のことが起きているにすぎません。
 
その中で私たち人類はどのように地球と付き合っていくのが正しいのか、という大局的な視点が必要だと思います。
自然を征服しすべてをコントロールすることは所詮不可能なことです。
 
大量の放射性汚染物質の山を見るにつけ、次世代に大変な負の遺産を残してしまったとため息が出ます。
 
また、一方では、化石燃料の消費によってこれまた大量のCO2を発生し、地球温暖化が進んでいるという見方もあるので、どこが落としどころなのか意見が分かれるところです。
 
これに経済発展の問題が加わると話はさらに複雑になり、個人ではなかなか解決ができません。
すべての人に今の生活があるのですから急に生活の糧が失われては困るでしょう。
 
でも、環境が破壊されて一番困るのは私たち自身そして次世代の人たちです。
 
私自身としてはもう物質的な豊かさはこれに極まれりという気がしているので、なんとか精神的な豊かさや感性を取り戻したいと思っています。
 
ただし、この思いも発展途上国の人から見るとさんざん物質文明を謳歌した人のエゴに見えるのかもしれません。
 
しかしながら、だれがなんと言おうと私たちはこの地球の上で生きていかなければならないということに変わりはありません。
 
この地球の命を分かちあって生きていかなければなりません。
 
地球の命は、私たち自身の命であるということを自覚して自分たちの生活を見直していきましょう。
 
責任は、私たちにあります。
 
義存