禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」だより(6)   幽玄の世界とは

今日2013年12月6日(金)は、第1週なので6時からコミュニティセンターの5階和室で例会が開催されました。参加者は7名でした。                      
 
今日は、第1週なので、まずは、齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きを輪読しました。

今日からテーマは「能」です。
いきなり、「これほど幽玄な芸術は世界中どこを探しても存在しない」という言葉から始まりました。
「幽玄」という言葉を和英辞典で引いても出てきません。
これは翻訳不能の日本語かもしれません。
広辞苑で引くと今度はいろいろな使い方がたくさん出てきて、
どれが能の幽玄さを表しているのか少し迷います。
自分で能の舞台を見て、味わうしかないのかも知れません。

世阿弥は、「風姿花伝」という能の書を室町時代に著していますが、これは、門外不出の書で、1927年になって初めて出版されたそうです。
ある人が名人に「先生この本をお読みになりましたか」と聞くと、名人は「読んでいません、芸が出来上がるまでは見てはならぬと父にとめられています」と答えたそうです。
彼の人は恥じ入って、能の世界はこのようにして守られてきたのだと思ったそうです。
「本を読んで分かったつもりになることが危険なのだ」
これは、禅と同じですね。

また、「観阿弥世阿弥」が頂点を極めてしまっているので、その様式をいじろうとすると、かえって劣化が始まる」とも書いてありました。
これも禅に通じるところがあるような気がします。
仏教は今多くの宗派に分かれていますが、原点は釈尊です。
禅は釈尊と同じ悟りに向かってまっすぐ進む道ですから。
 
本の話が長くなりましたが、次はお茶の時間です。
今日は森本さんによるお点前でした。
掛け軸は
 不要参禅亦適禅 詩書画酒自由仙
 若知容老*神術 何怪壷中別有天
                    宗演草
       *は|(たてぼう)に頣。
 
で一月前と同じです。
今日は、読み下し文を持ってきてくれた人がいるので、前よりは読めましたが、内容まではついていけていません。
私などではとても手の届かない世界のようです。

お菓子は、「秋の山」と「此の花」、花は山茶花でした。

お茶の後は、しっかり一炷香坐りました。
 
個人的な話ですが、私の中学・高校の同窓で仲のよかった友人の訃報が入りました。
東大に行って大手の銀行に就職し、シカゴ大学でMBAを取得したエリートです。
気立てもよく、何であんないいやつがこんなに早く逝ってしまうのだと悲しみにくれました。
何故か、先師の「今日が死ぬ日」と書いて、毎日おでこに張っておけという言葉が思い出されました。
あとに残った者はしっかり生きなくては。
 
義存