禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」だより(15) 「退屈芸としての俳句」 『こんなに面白かったニッポンの伝統芸能』より

2014年2月21日(金)は、第3週。
読書会とお茶があります。
先週は雪のため二人で座りましたが今日の参加は9名でした。 

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まずは、いつもの通り読書会からです。
齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きを輪読しました。 
 
テーマは今日から「俳句」です。
いきなりすごい見出しで、どんなことが書いてあるのかと思いました。
最初の部分を引用します。
俳句に造詣の深い方は「ちょっと?」と思うかもしれませんが、齋藤さんの俳句観です。 
 
   俳句とは、一言でいえば「退屈芸」である。
    私はかねてより「退屈力」の養成を提言している。
   一見退屈に思えることの中から楽しみを見出す力、という意味だ。
   言ってみれば、教養を身につけるための勉強などは、その最たる例だろう。
   明らかに地味ではあるが、真剣になればなるほどおもしろくなっていくものだ。
   ふつう、私たちは日常生活が退屈だと思うと、たとえば刺激を求めて海外に
   行ったり、非日常的な体験をするためにお金を払ったり、あるいは趣味や興
   味のレベルアップを目指してセミナーに行ったりする。
   これはまさに現代的・都会的な高刺激社会の賜物だろう。 

   ただこの対極には、低刺激社会もある。

   刺激の少ないところでも十分に楽しむことができるのだ。
   そのあり方を一つの芸術概念として確立したのが、
   いわゆる「わび・さび」ではないだろうか。
 

今日はこの先も読みましたが、いろいろな感想が出ました。

 
また、「俳句は四季の区切りがあるからこそ詠める」ということには皆納得し、日本の自然はありがたいという感想が聞かれました。 
砂漠の中では俳句は詠めるのでしょうか。 
この先にどんなことが書いてあるのか楽しみです。 
 
次はお茶の時間です。
今日は高貫さんの有楽流のお点前でした。
実は今日がデビューの日です。
先生の大石さんが付いていてくれるとはいえ、
かなりの緊張した様子でしたが一生懸命さが伝わってきました。 

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掛け軸は、中村不折の達磨図。
箱書きにはこれしか書いてありませんでしたが、絵を見ると、二祖慧可の「雪中断臂」の図ではないかと思います(臂は肘)。
添えられている語はすべては読めませんでした。
申し訳ありません。教えていただければ幸いです。
こういうことは時々あります。
 

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お茶は、宝尽の白。
開封したばかりということもあり、大変おいしくいただきました。 
お菓子は、黒豆かさね。

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先週雪の中を大石さんが箱根に行ったそうで、そこのお土産です。
懐紙のお雛様がとてもかわいらしいですね。  
花は尾山さんが自宅の庭から持ってきた紅梅でした。 
 
さて、お茶席では、今開催中のオリンピックの話へ。 
選手はオリンピックのものすごい緊張感の中にいるので、そのプレッシャーに押しつぶされそうになることもあり、失敗するのもそれはいたしかたないことだろう。 
メンタルトレーニングもしているのだろうけれども、座禅でもやって平常心を保つ訓練をしたらどうかと意見も。 
スタートの前に3回でもいいから自分の息を数えてみたら落ち着きを取り戻せるかもしれません。 
と言っても、私はオリンピックに出場したことがないので、どれほどのプレッシャーがかかっているのか分かりませんが・・・。(笑)
 
この後は、しっかり1炷香(45分位)坐りました。 
 
興味を持たれた方は、ぜひとも「禅と茶の集い」へきて、ご自分で座禅を体験してみませんか。 
金曜日の夜は、どうぞ千葉中央コミュニティセンターの「禅と茶の集い」へ。
お待ちしています。 
 
義存 合掌