禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「禅と茶の集い」だより(17) 俳人が言葉に込めた「思い」

3月に入り今日(2014年3月9日)は第1週。
昨日は強い北風が吹き寒い一日でしたが、今日も風こそ強くはないにしろまだ寒い一日でした。
 
読書会は、齋藤孝著の「こんなに面白かったニッポンの伝統芸能」の続きを輪読しました。 
テーマは前回から続いて「俳句」です。
 
能に比べると俳句はより多くの人に親しまれていて、齋藤さんの俳句観とは違ったことを思っている方もいるかもしれませんが、そういうことも含めて、この本を読んでいきたいと思います。
以下引用します。
 
   科学の目で「古池や蛙飛び込む水の音」を分析すれば、
   「古い池にカエル飛び込んで水の音がした」で終わりである。
   俳句がそう簡単に終わらないのは、
   詠み手の沈黙を愛する気持ちや物思いに沈んでいた心というものを、
   私たちが感じ取るからだ。
   沈黙が破られたことで物思いに耽っていた自分に気づくのがポイントだが、
   それは、文字どおり表現されているわけではない。
   しかし、「古池」や「音」に詠み手の心が溶け込んでいるから、
   私たちはただ風景を思い浮かべるだけではなく、
   その心情を同時に感じ取れるのである。
 
感想はこんなところから始まったのですが、この静寂を今の若い世代が理解できるか、また、外国の人が理解できるかどうかという話になりました。
また、「岩にしみいる蝉の声」にしても蝉の声に静かさを感じる感性がどれほどあるか?これは、この句を話題にしている自分達の感性も含めてですが・・・。 
 
本の話題はこれくらいで、今巷で話題になっているランドセル俳人の話になりました。若々しく純粋な感性には驚かされます。
学校でいじめに遭って俳句に救われたということですが、小学生にしてもう人生の深さを味わっているのでしょうか。 
彼の生活環境はよく知りませんが、小さいときから都会暮らしでテレビを見たりゲームばかりやっているとなかなか自然と親しんで感性を磨くというのは難しいかもしれません。
 
房総坐禅道場では、夏休みに「親子禅の会」などを開き、子供達が自然に親しめるような」活動をしています。
禅と茶の集いの会員の子供達は、ほとんど皆この会に参加しています。
 
うちの娘達も小さいときから道場に来て、昆虫採集、魚釣り、キャンプファイヤーなどで楽しい時を過ごさせてもらいました。
もちろん座禅も体験します。
これからの人生で壁にぶつかったとき、小さいときに体験した座禅を思い出して禅に戻ってきてくれればと思います。
 
少なくとも毎日父親が座禅をしていることは分かっているのですが、この父親がしっかりしていないと座禅をやっていてもたいしたことはないと思われかねないので(もうそう思われているかも)、こちらもそのつもりでやらなければと改めて思いました。 
 
次はお茶の時間です。
今日は森本さんの有楽流のお点前でした。 
 
お菓子は、四季の彩。色鮮やかですね。 

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今日は、掛け軸と花はありませんでした。 
 
お茶席でも、俳句や短歌の話題が続きました。
森本さんは俳句を詠んでいるし、登坂会長は、毎年短歌を詠んで年賀状に書いているそうです。
二人ともかなり造詣が深く、同席していた人は驚いていました。 
 
この後は、いつものとおり、1炷香(45分位)坐りました。 
 
その後で、私自身の姿勢がどうか確認したくて写真を撮ってもらいました。 
ほんの少しですが、右肩が上がっていました。
今はデジタルカメラですぐに見られるので便利です。
なかなか自分の姿勢を客観的には見られないので、これも一つの方法かと思いました。 
 
金曜日の夜は、どうぞ千葉中央コミュニティセンターの「禅と茶の集い」へ。 
お待ちしています。
 
義存 合掌