禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅修行の階梯を考える(16) 「禅と茶の集い」便り(223)

いよいよ今年最後の禅と茶の集いとなりました。
個人的には公私ともども激動の一年ではありましたがなんとか禅をよすがにふらふらしながらも一本橋を落っこちずに渡れた気分です。

12/28は第四週、太田先生のワークショップです。
まずは一柱香の坐禅から開始、続いて太田先生ご持参のお軸の説明でした。
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本日は江戸末期の儒学者頼三樹三郎」の作、十牛図「騎牛帰家」を眼福に預かりました。書は「笛聲十里」と続きます。

ショートブレイクの後、12名がうち揃い今年最後の太田先生の講義に耳を傾けます。
先月のおさらいの後に、今月は十牛図「忘牛存人」の境涯を目指す一般社会人の禅修行についての総論から説明から始まります。

若い頃から長い年月をかけて修行できる雲水や修行僧とは違い、社会生活をおくりながらしかも中年以降に始める禅修行は圧倒的に時間が足りません。
そこで太田先生は公案体系が確立される以前の修行法に着目され、言語外の「三つの宝物と視覚の修練」という体性感覚に繋意した訓練だけで「忘牛存人」の境涯を得ることができるというメソッドを紹介されております。

アントニオダマシオの自伝的自己が生み出す「不安、恐れ、怒り」が過剰な状態に陥りやすい現代生活のなかで、中核自己に備わっている3つの宝物を再確認して、味わい使いこなすことで、我を棚上げにして、行き過ぎた情動を抑えることができるというものです。

「正念不断相続」についても言及がありましたが、修行途中の私には咀嚼しきれない鉄饅頭でありました。(^_^;)

続いて「からだの一カ所に繋意しながらの発声」「合掌の形による発声」について実際に声を出しながら、聞きながら体と、声、そして心の在り方の関連について冷暖自知していく作業をしました。

しかし声を出すのは気持ちいいですね。
なかなか普段は腹の底から声を出す機会などないですから、自分の声が細く高くなってしまっていることに改めて気が付かされました。

太田先生もお風邪を召しているらしく、かすれ声での最終講義となりましたが本当に今年一年有難うございました。
ご家族やご自分の体調も二の次にしてワークショップに取り組まれる後ろ姿に、「道」を教えられ、ただただ感謝申し上げております。

さて次回はいよいよ新年です。1/4はお休みなので平成31年第一回禅と茶の集いは、1/11(金)19時から遅めのスタートです。※いつもと開始時間違います!
第二週なので坐禅一柱香の後は、新年会で毎年恒例の抱負を述べあう会となりそうです。
坐禅やお茶のご興味のある方、どなたも大歓迎ですのでお出かけください。(Y)