禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅体験セミナー (5)  禅の特徴

禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
 
セミナーでは、禅の特徴について配布資料に基づいて話しましたが、ここではより正しいものとするため、参考にさせていただいた本から直接引用させていただきます。
少し難しいかもしれません。
 
禅定三昧こそは釈迦の悟り、さらにいえば仏教のそこから生まれ出た母胎だと断じてよい。
したがって、釈迦の悟りをわがものとし、釈迦の真精神に生きようとするならば、戒律や智慧もさることながら、釈迦と同じく坐禅し、釈迦と同じく禅定三昧に入るのが、最も確実な道であることは、見やすい道理である。
禅とはこの道理の上に立って、釈迦と同じく坐禅し、釈迦と同じく禅定三昧に入り、その三昧の力によって釈迦と同じ悟りを開き、その悟りに即して、この人生を生きることを教える教えだ、と一応定義してよいであろう。
 
釈迦の死後、その弟子達によって経典が結集(けつじゅう)され、それを土台に展開された仏教の教学は、その体系の壮大さといい論理の緻密さといい、まことにおどろくにたえたものである。
しかし経典はみな、禅定から生まれた智慧の表現にすぎない。

しかも釈迦の開いた悟りそのものは、絶対界の消息であり、文字どおり言語道断で、千万言を費やしてもついに説きあかすことのできないものである。
悟りは自ら禅定三昧に入って、実地に体得する以外にないもの、いわゆる冷暖自知するほかないものである。(禅入門 芳賀幸四郎著 春秋社)
 
今や世界の多くの人々は、真実の己にめざめず、自分の信仰や世界観や利害の対立の中で、正しい人間の道を見失い、あるいは底なしの闘争や、あるいは細かい専門の袋小路に入り、あるいは自堕落な享楽にふけって、真の理想と希望のない生活にあえいでいるのが実情である。

禅は、多くの宗教の中で、神秘的教義や信仰を立てず、霊魂や死後の世界を語らず、真実の本心をよび覚ます道を直指する。
それは、科学をほんとうの姿によみがえらせ、社会の現実の営みのただ中にあって、正しく・楽しく・仲のよい世界建設のための正しい道を開示するのである。まことに禅こそは、現代のための宗教といえる。(坐禅のすすめ 内田昭夫編)
 
続く
 
義存 合掌