禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

細川晋輔和尚さんの法話

本日の9時から行われた臨青のオンライン坐禅会を担当された細川晋輔和尚さんの法話とても素晴らしくここにご紹介させてください。

10分程度のお話でしたが書き起こしてみるとかなりの長文ですので,部分抜粋で引用させていただきます。

 

(前略)

私自身,坐禅は句読点だと思っておりましてこの時間に何か特別な意味があるわけではない思います。

例えば新聞の紙面から「,」と「。」がなくなってしまったらと考えたとき,「,」と「。」が100個つながっても私たちに何か意味を伝えてくれるわけではないですけど,この「,」と「。」があるからこそ文章が引き立っているという句読点の意義に気づきます。

 

この坐禅という時間が私たちの人生の句読点であるとするならばこの無意味なこと無意味な時間を効果的に使っていくことによって,他の時間を有意義で素敵で素晴らしいものにしていこうというのが坐禅の大切なことになると思っております。

 

昨日も緊急事態宣言が延長されるということになりまして坐禅会に参加されている方もそれぞれいろんな思いで昨日のニュースを耳にされたと思います。

私自身,不要不出という言葉,とても何か禅問答のように胸にくるものがございました。毎週やっている坐禅会もまた江戸時代から続いてきた行事も,またお葬式や法事の形までも私たちの宗門会にも大きな影響を与えました。

私自身が人生をかけて一生懸命やってきたものが不要不急であると突きつけられたような気持がしていたんですけれども,この不要不出で自粛の生活が一か月以上続くわけですけれど,かえっていろんなものを手放し気づくこともあったと思います。

(中略)

今日この後,白隠禅師坐禅和讃という江戸時代の白隠禅師が作られた坐禅のお経を唱えさせていただきます。

白隠禅師の生きた江戸時代は,元禄時代という文化が花やぐ時代とも言われますが,方や戦国時代が終わって平和になったけど農民の一揆や疫病,また飢饉が多かった時代でもありました。

そんな中,白隠禅師は坐禅というものを通してたくさんの人たちに人生の豊かさをお説きになられるわけなんですけれども,今の私たちのコロナ騒動というものもそう考えると,自分自身を大きく見直していく大きな機会となるのではないでしょうか。

(中略)

実際,一日も早く通常の生活に戻ってほしいのですけどただ戻るだけではなくて今,私たちがこの期間に,例えば坐禅を通じてでも自分自身にベクトルを向ける時間を作っていただき,自分の人生に句読点を打ち込む時間を作ってはいかがでしょうか。

(中略)

この自粛期間はぜひ皆様にとって大きな句読点を打つ時節だと念じていただいてお過ごしいただくとアフターコロナという時代には,コロナ以前に当たり前に行っていた生活の有難さ,とても貴重でとても愛おしい,とても新鮮でとても楽しいと感じられると思います。

同じことなんですけど違った見方で見ていくことができる,そのためにはこの期間中に如何に自分自身を見つめていって何か一つでも心の鎧をとっていくということが大切になるのではないかと思っています。

この後,白隠禅師坐禅和讃をお唱えさせていただきますが,その冒頭は「衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生の他に仏なし」という言葉で始まっています。

何かに捉われて,頑なになって苦しんでしまっているそういう迷える自分を氷に例えています。

もしコロナがなければ,もしあの頃に戻れれば,もしオリンピック延期されていなければ,私たちは「もし,こうあってほしい」その願いが自分自身を氷のような捉われた心にしてしまいます。

そして私たちはどこか大きな氷を背負って水を探しに行ってしまう,幸せな生活はどこにあるか,今まで手元にあった幸せはどこに行ってしまったのだろう,大きな氷を背負っていろんなところに幸せを探しに行ってしまうのです。

でもちょっと立ち止まって考えてみれば背中にしょっている氷を溶かせば自分が求めていた水,自分が求めていた幸せを手にすることができるのではないか,私たちは氷を水に溶かすことができるのです。

油を水にするわけではなくて只,氷を溶かして水にすればいい,それが白隠禅師坐禅和讃の大きなメッセージとなっています。

 

ではどうすれば氷を水にすることができるかというと,坐禅和讃の最後に「当初すなわち蓮華国 この身即ち仏なり」という言葉がヒントとなります。

「当初」というのは今まさに目の前のことを,「蓮華国」最高で最良でベストだと心から念じることができたなら私たちは氷を溶かして水になり,水はあらゆるものを潤していろいろなところに広まっていくことができるのでしょう。

 

私たち今,置かれている現状について,もしもコロナがなければ,もしもこうだったらなどとないものを願っていくのではなく,まさに自分の足を地につけて目の前の一つ一つのことを愛おしく,丁寧に行っていくこれが当初即ち蓮華国の心になると思います。

 

不要不出なもの,いろんな物を手放してみて,改めて衣食住の大切さというものを私たち身に染みてわかりましたが,やはり衣食住だけでは人生の豊かさとは言えないことにも気づかされました。

もしかするとこの不要不出のもの,これこそが私たちの人生に奥行きと広がりを与えてくれるものであったのではないか,まさに不要不出といわれていろんな物を自粛して毎日を過ごす中で私自身もこの不要不出のものこそ人生の深さ,豊かさにつながっていくと教えられたような気がします。

 

皆さんもぜひヒントは目の前にある,けれど私たちは忙しさにかまけて目を向けなかった,私も含めた皆様自身のこころの受信装置の感度を挙げていくことによってもっと私たちは豊かに幸せに生きていける,これをコロナが教えてくれたんではないかと思っています。

(後略)

野沢龍雲寺のオンライン坐禅会は6月14日(日)分からユーチューブでも公開され始めましたので参考までに下記にご紹介します。

 


野沢龍雲寺 オンライン坐禅会