禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

宝樹院だより(4)禅とは平気で生きること

梅雨明けになんとか間に合った8月。

今日は第一日曜なので宝樹院さんで法話坐禅会でした。

泰裕ご住職からの法話は「安心」について正岡子規の言葉をご紹介をいただきました。

「禅とは平気で死ぬことだと思っていたが,平気で生きることであった」(病床六尺)正岡子規

お盆なので本堂にはここ1年の間になくなられた方々のご位牌を精霊棚にお供えしておりますが,生きている方々もこの半年は改めて自分を見つめる良い機会になったのではないでしょうか?

我々,宗教者もお別れを共有すること,みなで一緒に悲しむ機会の大切さを痛感することになりました。

平気で生きることはとても大変なことです。

四苦八苦と言われるように人生には様々な苦しみやままならないことがたくさんありますが,お盆の時期を迎え自分の行動を見直すことは坐禅に結びつくことではないでしょうか。

 

コロナ流行から皆での会食はなくなりお饅頭はお土産として頂いておりましたが,今回からは紙コップでのほうじ茶とお饅頭をソシャルディスタンス保ちながら無言でみんなで一緒に戴くことが始まりました。

 

またお土産には,扇げば扇ぐほどコロナ退散となる団扇をいただきました。

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円覚寺の横田老師の観音像と「大悲光明」と筆書きされた表面の裏には「祈願コロナ退散」のお札が張ってある有難い団扇でした。(Ym)

 

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