禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

今年の桜は・・・死こそ常態

地球上の全人類を巻き込むコロナ騒動は1年以上に及んでおりますが,大自然はなーんにもなかったかのように今年も梅が咲き,メジロが飛ぶ春を迎えております。

 

中でも日本人が大好きとされる桜ですが,今年のソメイヨシノの開花予想は3月15日,そうもうあと1週間なんですね。

 

なんでも桜は御霊(みたま)を鎮める木として霊園などにもたくさん植えられております。

西行法師のご出家前の歌も良く知られてますね。

「願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」

 

そういう思いで桜の木を眺めているせいか雨降り後、満開の桜を見るとその幹の黒さがぎょっとするほど不気味です。

 

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まるで血を吸って染め上げたような薄桃色の花,そして不気味なまるで死を感じさせるような幹の漆黒。

 

また他にもこの季節になるといつも思い起こされる詩があります。

大正生まれの茨木のり子さんの詩です。

 

さくら    茨木のり子 

 

ことしも生きてさくらを見ています 

ひとは生涯に何回ぐらいさくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら

どんなに多くても七十回ぐらい

三十回 四十回のひともざら 

なんという少なさだろう

もっともっと多く見るような気がするのは

祖先の視覚もまぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば  

一瞬 名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態 生はいとしき蜃気楼と 

 

これまで以上になく「死」と隣り合わせだった1年を迎え,みなさんはどのように桜をみるのでしょう。(Ym)