禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

社会人の禅修行階梯を考える(58)「禅と茶の集い」便り(401)

悪天候の中,太田ワークショップには6人も集い女性比率の高いかいとなりました。

 

太田ワークショップはいつも通りでしたが翌日になり次のようなショートメッセージが届き驚きました。

 

昨日は、ありがとうございました。会での、「生地のままの「中核自己」と、「中核自己」にわっている宝物との違いは?」という質問は、とても大事なことを突いています。次項の補足を見て頂ければ解るように、「悟る」とか「正念」の中身を明らめるためには、どうしてもこの違いを、明確に体得し、味わい、使いこなす必要があるのです。

 

生地のままの「中核自己」とは、「マインドフルネス」、つまり「自伝的自己」の領域から離れ(「棚上げ」)、体性感覚に充満されている状態と、捉えることか、できます。

 

二通に分けての補修講義で並々ならぬ先生の思いが伝わってきましたのでご紹介させていただきます。山下