禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

調息山二合目 呼気・吸気共に随息・・・随息の前期

 二合目 呼気・吸気共に随息・・・随息の前期

  ○両手を両股に置く。触れられた股の温かさに繋意
  ○⑧に示した組手。手の温かさに繋意
  ○⑧に示した組手。「気海(臍下丹田)」の温かさに繋意
    

*呼気・吸気と身体の感覚とが、一体になることが重要です。この力を利用して、連想活動を遮断します。(単純な連想活動である「数える」ことを、利用しなくてもよいレベルになってきました)    

*呼気・吸気共に随息という坐法は、「提唱」の時に大いに利用すべきです。坐禅・作務等で養った定力を、保持するためにも。
先輩方が「全身を耳にして拝聴すべき」と云われていたことの実態は、体性感覚を一種のフィルターとして「提唱」を拝聴するということなのです。何故ならば、「提唱」は耳で聞いて理解するものではなく、「得る」か、せめて「感じる」ものだからです。『論語』「子貢云く、夫子の文章は得て聞くべし。夫子の性と天道とを言えるは、得て聞くべからざるなり」とあります。ここで問題になるのは、「聞かずして、得る」ためにはどうすればよいか?ということです。    

*「気海(臍下丹田)」の温かさに繋意することは、かなり難易度が高いのですが、これによって次の三合目「ナー・ムー法」への移行が容易になります。感じにくい人は、布袋さんや妊婦さんのように、下腹部の存在感(特に温かさ)をイメージしてください。それでも感じにくければ、ぬるま湯を入れたペットボトルを下腹部に当てて、この感覚を育ててみてください。この感覚への繋意が3分以上続けば、中核自己の領域に十分入っているのです。つまりこの状態によって、自伝的自己が棚上げにされた状態が体得できている、ということなのです。