禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

夏目漱石の「門」 「禅と茶の集い」だより(77)

先週は台風が来ましたが、その後梅雨が明け今日(2015年7月24日)は大変暑い一日でした。
台風は去っても、各地で雷雨があったりして不安定な天気です。
 
今日は、7時からまず1炷香(45分)の坐禅をしました。
はじめから10人ほどが集まり充実した時間でした。
 
8時からは、禅と茶の集いではもはや人気講座となっている太田先生の座禅ワークショップでした。
 
毎回のように、レジメでは加筆が続くのですが、坐禅をするのにこれは大いに参考になるだろうということで、夏目漱石の小説「門」からの引用があり、それに伴って話がありました。
普段は、脳科学と禅とか、体のつぼを利用しての坐禅とか、かなり難しい話も多いのですが、これは小説の中の話なので分かりやすく皆の興味も湧きました。
 
主人公の宗助は、坐禅の道場に行き老師から「父母未生以前本来の面目とは何か」という公案をもらうのですが、当たり前ですが答えは簡単には出ません。
宗助は考えてしまいます。(ちなみにこれは誰もがやることです)
本文には、
 
すぐに色、形あるものが頭の中を通りだした。ぞろぞろと群がる蟻のごとく動いてゆく、あとからまたぞろぞろと群がる蟻のごとく現われた。じっとしているのはただ宗助のからだだけであった。心はせつないほど、苦しいほど、耐えがたいほど動いた。
そのうちじっとしているからだも、膝頭から痛みはじめた。まっすぐに延ばしていた脊髄がしだいに前のほうに曲がってきた。
 
とあります。
坐禅を始めると、これは間違いなく誰もが経験することです。夏目漱石が自身の体験から書いていることがよく分かります。
公案にも苦戦します。
宗助は書物でも読もうかと思うわけですが、それに対しての世話係りの僧のアドバイスがいいですね。
 
書物を読むのは悪うございます。ありていに言うと、読書ほど修行の妨げになるものはないようです。
 
これも、現代人、特に知識人にはキツイ一言のような気がします。
今、文庫本を脇においてページをめくっていたのですが、もう一度最初から読んでみたくなりました。
来週までにもう一度読んで続きを書きたいと思います。
宗助は、坐禅と苦闘してどうなったのでしょうか。
 
来週は、第5週で、お茶があります、6時からはじまりますが、途中からの参加も大丈夫です。お待ちしています。
 
義存 合掌