禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
前回は、釈尊が地位も名誉も財産も妻子も捨てて出家しましたというところまで書きました。
書き忘れましたが、これは釈尊が29歳のときです。
今回はその後の釈尊がどうなったかということです。
出家したとはいえ、どうしたら苦悩から抜け出せるのか、その方法がすぐ分かったわけではなかったのでしょう。
瞑想といってもこれまたいろいろなイメージがあると思いますが、何か一つのことに精神を集中することであることは間違いないと思います。
二人の先生の教えについてはあまりに煩雑になるのでカットします。
困りましたね。
釈尊は次に、苦行の道に入りました。
多分その当時も苦行によって悟りを開こうという人は多くいたのだと思います。
多分その当時も苦行によって悟りを開こうという人は多くいたのだと思います。
とんでもない長い時間息を止めるとか、1週間どころか何ヶ月にもわたる断食とか、あらゆる苦行を経験し、周りの人からは、釈尊は「もう死んだのではないか」と思われるくらいの修行をしたようです。
パキスタンの美術館にこのときの様子を伝える釈迦苦行像というものがあり、日本にも来て話題になったことがありますが、それを見ると坐禅をしている釈尊の頬はこけ、肋骨の骨は浮き彫りのようになり、まるで骸骨が坐っているようです。
信じられないことですが、これを6年間続けても釈尊は心の平安を見いだすことは出来ませんでした。
そして、苦行という選択肢そのものが間違っているということに釈尊は気づき、苦行を捨てました。
彼女の名前は、コーヒーなどに入れるミルクの商品名になっていますね。
そして、12月8日の朝、明けの明星を見て忽然として大悟しました。
35歳のときです。
35歳のときです。
ここが問題です。
何を悟ったのか?
何を悟ったのか?
「一仏成道 観見法界 草木国土 悉皆成仏」
いきなり難しい言葉が出てきました。
「悟りを開いて(一仏成道)、世界を見ると(観見法界)、
草や木もすべてのものが、そのままで仏である」
草や木もすべてのものが、そのままで仏である」
禅ではこのように伝えられています。
といっても初めてこの言葉を聞く人には、何がなんだか分からないと思います。
大体「仏」といっても、釈尊その人のことや、死んだ人のことを思い出してしまうと全然違います。
不親切だと思われるかもしれませんが、悟りの内容そのものは体験的なものなので、言葉で的確に表すことは出来ません。
禅体験セミナーに初めてきたので、仏教、ましてや釈尊の悟りなんて関係ない、こんな話を聞きに来たんじゃないと思われる方もいらっしゃると思いますが、禅の根底にはこういう背景があるということは、知識としてでも知っておいていただきたいと思って話しました。
続く
義存 合掌