禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

禅体験セミナー (10) 禅のある人生 3

禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを私(義存)の責任で要約して掲載しています。
 
前回の担当者から、坐禅の仕方について補足してほしいと言われたので、
簡単に触れたいと思います。
家に帰ってから、もう一度テキストをよく読んでください。
 
まず、坐禅が終わった後の「出定・しつじょう」です。テキスト43ページ。
坐禅の時間が終わったときは、坐禅を始めたときとは逆に、徐々に身体を左右に揺らしていき、さらに足を解いて坐禅をおわらせます。
粗暴に立ってはいけないと古来言われています。
はじめのうちは足がしびれていて、急に立てないわけですが、足がしびれなくなっても、ゆっくり動作するようにしましょう。
坐禅で得られた禅定力を坐禅後も続けていけるようにするためです。
 
次に「経行」です。お経の経に、行くと書いて、「きんひん」と読みます。
手を胸の前に組んで(これを又手当胸・さしゅとうきょうと言います)、このようにして、坐禅と同じように背筋を伸ばして、立って、一歩一歩ゆっくり歩きます。目は2m前方を見てください。
坐禅を静中の工夫と言うのに対して、これは動きながら行うので、動中の工夫と言います。
 
私達に坐禅の指導をしてくださった磨甎庵白田劫石老師は、散歩に行くときに、経行に行くと言って出かけられました。
ただの散歩ではもったいないので、今後、ウォーキングなどをするときは、このテキストを読んで、経行をやってみてください。
実践し、自分でものにしないと、修行は意味がありません。
 
次は、「三昧」についてお話します。 テキスト45ページまず、坐禅の仕方で、調身、調息の後に、数息観の説明があり、静坐中は、息を数えることになりきるとの説明を受けていると思います。
息を数える間に雑念が出たら、1に戻るようにと言われたかと思いますが、人間は、考える葦であると言われる如く、常に考える癖がついています。
しかし、本来、数息になりきっていくようにと言われているわけですから、ここで浮かんでくるものはすべて雑念です。
一生懸命息を数えるぞと思っても、3つ数えたら雑念が浮いてきます。
それが人間です。へこたれずに続けましょう。
 
数息観の評点のすすめを提唱している葆光庵丸川春潭老師は、雑念を全く起こさないで1から10まで数えられたら(1分から1分半)、数息観の評点で100点満点中70点と言っておられます。
このことからも、その難しさが理解できると思います。
まず、70点を目標に頑張ってみましょう。
 
次は、「作務(さむ)」についてです。 テキスト53ページ動中の工夫の一つとして経行を説明しましたが、もう一つ動中の工夫として作務があります。
様々な生活の営みの動作の中において、工夫を続けて、三昧力を養う修行です。
道場での摂心会などで作務が行われますが、それを通して修練し、最終的には、家事も仕事も作務として行えるようになれば、修行の効果は絶大です。
家事の中で作務ができ、動中の工夫ができれば、日常生活ががらっと変わると思います。
家事は、人に煩わされないので、自分一人、工夫を続けるには大変よい機会だと思います。
道元禅師は、僧堂での食事作りの注意として、『典座教訓・てんぞきょうくん』という書を書いておられます。
食事作りだけでなく、修行一般の参考書としても大変有用です。
是非、お読みになることをおすすめいたします。
 
続く
 
義存 合掌