禅と茶の集い

みをただし いきをととのえ すわるとき そのみ そのまま みな ほとけなり

「調身」と「調息」の技法を応用したストレス・マネージメントのプログラム

※禅茶ラジオシリーズ1完結を記念して第9・10話にも登場した花園大学での太田先生の学会発表論文をここに掲載します。

 

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Kyoto Conference 2006 Self and No-self in Psychotherapy and Buddhism

            May 16-19,2006 Hanazono University

 

2006年5月17日(水) 午前9~12時

PanelⅢ Self and No-Self: The Psychological, Psychophysiological. and Developmsntal Correlates of Meditation

 

「調身」と「調息」の技法を応用したストレス・マネージメントのプログラム

   太田東吾 千葉県千葉リハビリテーションセンター 医師

 

参加者の動向  

著者は、1978年以来、千葉大学や千葉リハビリテーションセンター及びその関連施設等で「調身」と「調息」の技法を応用したストレス・マネージメントのプログラムを実践してきました。  

合計5時間から15時間を4,5回に分け、ワークショップ形式で、参加者は310名でした。  

参加者の内訳は、千葉大学の学生210名、千葉県医療技術大学校の学生40名、千葉リハビリテーションセンターの研修医又は職員50名、強迫神経症又は心因性無声症の患者10名です。  

参加者の到達レベル(詳細は後に述べます)を学生、研修医又は職員、患者さんのグループ別にして表に示しました。310名の中で195名(63%)の方が「止」のレベルに達しています。 プログラムの基本的な考え方  このプログラムを支えている基本的な考え方を以下に述べます。  

第一は、人の脳が対象物を認識する過程を、感覚と認識の二段階とします。特に認識の過程では生後、家庭・学校・社会等でいろいろと経験し集積されたところの、イメージ化又は言語化される宣言的記憶によって強く影響されます。  

例えば、我々は胃炎や胃潰瘍や初期の胃癌による胃の痛みを、内臓感覚レベルでは同じように感じています。しかし一旦胃癌と診断されたとたんストレスの増幅が大きくなる事を日常的によく経験します。  

同一の刺激であっても個人差によって、あるいは同一個人でも状況によって、認識の段階では異なった意味を持つのです。  第二は、感覚と認識との連携の強弱によって勘定情報を「目・耳・鼻等の遠感覚器官からの感覚情報」は、感覚から認識へと瞬時にして結びつくように強化され発達してきました。このような遠感覚器官からの感覚情報を第一のグループとします。  

 

一方、内臓感覚、温・冷・痛・触の皮膚感覚、筋肉や腱の固有感覚、更に味覚などを第二グループとします。  以上の事を言い換えますと、第二グループのほうが、操作的には感覚の領域に留まり易く、それによって宣言的記憶を一時的に棚上げすることが容易になっているといえます。  

例えば朝の寒いとき起床前に布団の温もりを暫し味わっている状態やサウナ風呂に入っている時余念をまじえず、じーっと熱さに対している状態を想像してみてください。

 

禅の修行体系とストレス・マネージメント  

前述の様な脳科学的知識がない時代、インドから中国・朝鮮半島更に日本へと伝来した禅の修行体系は、長い年月の間に独自の人間形成の為の体系ⅺへと発展してきました。  このような禅の修行体系から得られた知見の一つにストレス・マネージメントの鍵になると思われるものがあります。  

如何なる禅の達人といえども、戦乱や災害等の外部からのストレッサー及び癌等の身体内部からのストレッサーに対しては如何とも仕様がありませんが、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができるという経験的事実がそれです。  

 

戦乱の中で、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができた例としては無学祖元禅師、胃癌に苦しみながらも、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができた例としては山岡鉄舟居士があげられます。  

 

無学祖元禅師(1226~1286)中国 南宋時代の禅僧 1275年 元の軍隊が禅師に住しておられた温州の能仁寺に乱入してきた時、禅師は坐禅をされていました。元兵が禅師の首に刃を当てた時、やおら坐禅を解いた禅師は紙と筆墨とを求めて従容として遺偈 したためたのです。

乾坤無地卓孤筇  乾坤 孤筇を卓する地無し

且喜人空法亦空  且喜すらくは 人空 法亦空なることを

珍重大元三尺剣  珍重す 大元三尺の剣

電光影裏斬春風  電光影裏に 春風を斬る

   

これを見ていた元兵の隊長が禅師を解放したとの事です。

後に禅師は鎌倉幕府の執権北条時宗の招きを受けて来朝し、時宗の参禅のとなりついで鎌倉円覚寺の開山となられたのです。  

 

山岡鉄舟居士(1836~1888)徳川幕府15代将軍慶喜の臣、後に明治天皇の侍従となる。1868年の江戸城無血開城に功あり。

剣は北辰一刀流千葉周作に学び、後に無刀流を案出する。禅は天龍寺の滴水禅師等の下で修行された禅の達人です。  

鉄舟居士は晩年、胃癌に病み「腹張って 苦しきなかに 明鳥」の句を残されています。

 

「調身」と「調息」  意識野についてウィリアム・ジェームズは、「意識野の中心」「意識野の周辺」という概念を提案してます。ⅻ  

 

例えば学生時代のことを思い出してください。

講義中に本来ならば先生の話が「意識野の中心」になければならないのに、いつの間にか放課後の友達との約束が「意識野の中心」にきて、先生の話が「意識野の周辺」に移ってしまったということを経験されたでしょう。  

 

本論文において「調身」とは、人が身体を動かすときに特定の部位の感覚をウィリアム・ジェームズのいう「意識野の中心」に定めて保持することによって宣言的記憶を制限又は遮断する技法であり、「調息」とは、椅子に座って、あるいは「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」による呼吸運動のみに集中して宣言的記憶を制限又は遮断する技法です。それぞれ天台智顗大師以来使用されてきた伝統的な定義と異なっています。xⅲ

 

「調身」を応用したプログラム

 「調身」を応用したプログラムの第一は歩行訓練です。  

その1、各自の個性で歩行してもらいます。  

その2、眼は真っ直ぐ正面を見、顎を引き、腰を伸ばし、足は踵からしっかりと大地に降ろし、大地からの反発力を脳に十分に伝えながらの歩行です。足が大地と接する際の感覚を「意識野の中心」に定めて保持する事によって宣言的記憶を制限又は遮断するのです。時には靴音を利用するのも良いものです。この方法は一般的には軍隊や警察等で応用されています。  

その3、両手指で空気の流れ又は風を感じ、その感覚を「意識野の中心」に定めて保持しながらの歩行です。人は頬で風を感じやすいのですが、この場合は両手指で感じることが要請されます。歩行の速度はとてもゆっくりとなります。  

日常的には試験や一仕事が終わり、ゆったりとした気分で家路に帰るという状況でしょうか。  

その4、右手の第1指と第5指とを軽く接してリングをつくります。この時他の3本の指は軽く開いています。 この右手の第1指と第5指とのリングの微かな感覚がどの様な物かは、右手の第1指と第2指とを軽く接したときと比較してもらいます。右手の第1指と第5指とのリングの場合は、より窮屈さ、不安定さ、より弱さが感じられます。この窮屈さ、不安定さ、より弱さの感覚を「意識野の中心」に定めて保持しながらの歩行です。歩行の速度は、風を感じながらの歩行に似て、とてもゆっくりとなります。しかし口元の表情や全身から悲しみが感じられます。  

 

「調身」の第二の訓練は発声です。    

その1、文章を読むか又は自己紹介の形で各自の個性で発声してもらいます。  

その2、腹から(腹筋が動いているのがはっきりと感じられる位に)の発声です。

速度は一定となり、一語一句更に語尾が明瞭となります。腹からの発声が困難な場合は、足の裏に意識を持っていくようにしてみます。  

その3、胸からの発声です。

胸郭を広げて発声しますので、声は横に広がり、少しぼやけます。  

その4、口からの発声です。声の質は軽くなり、速度は速くなります。  

その5、鼻からの発声です。声は鼻を抜けるようになります。  

その6、頭の頂上からの発声です。話している本人も聞いている人も不安定になってきます。アジテータがよく用いる方法です。  

その7、目頭からの発声です。弱々しく悲しみを帯びた声になります。  

その8、右手の掌からの発声です。

話している本人も聞いている人も穏やかな雰囲気になります。この様な発声を保持している時には怒ることはできません。右手の掌からの発声は、怒りを抑えるための大きな力を有しているともいえます。もし右手の掌の発声が困難な場合は、右手の第2指を第3指の上に軽く重ねて、その感覚を保持しながら発声します。  

その9、咽からの発声です。これは極めて特殊な発声方法といえます。

試しに咽を意識して「ア」と声を発してみてください。音が詰まって声が出なくなり、苦しくなります。心因性無声症の人によく見られます。  

 

以上が発声の訓練です。激しい対立に満ちている現代社会に生きている我々にとって、手からの発声は極めて重要なもののように思います。

 

「調息」について  

「調息」には「数息」「随息」「止」の三段階があります。  

浅学の筆者には、はっきりとは解りかねますが、「数息」「随息」「止」という用語は天台智顗大使によって広まったものと思われます。  

関口真大によれば天台智顗大使撰述の『禅門修証』やその要略本である『天台小止観』は、インドの禅の思想、すなわち諸経論のなかに現れている諸般の禅の法門を、あるがままに忠実に刻明に深浅高下の秩序に整頓したものである」ⅹⅳとのことです。  

 

本論文では「数息」「随息」「止」の歴史的展開や古い時代の定義を棚上げにして、以下のように定義しておきます。  

「数息」とは、特定の部位の身体感覚を「意識野の中心」に定めて保持し、その感覚を利用して呼吸の出入を行い、この呼吸に合わせて数を数えるという技法です。

 

ここでは陳述的記憶の中でも最も単純な「数える」という事と身体感覚とによって、より複雑な陳述的記憶を制限又は遮断しようとしています。  

 

「随息」とは、特定の部位の身体感覚を「意識野の中心」に定めて保持し、その感覚を利用して呼吸の出入を行う技法です。ここでは身体感覚によって、最も単純な宣言的記憶(息を数えるという事)さえも制限又は遮断しようとしています。  

 

「止」とは、只々「赤丸」に意識を集中して呼吸を行う技法です。

 

「調息」を応用したプログラム  

 

「調息」を応用したプログラムには第一から第四まであります。

初心者でも進度を自覚しながら短期間に最後の段階へと達することができるように、このプログラムは開発されました。  

第一は、「三つの30の行」です。  

その1、参加者は、脚を肩幅くらいに広げ、腰を伸ばし、椅子に掛けます。手の組み方は、右手第1指と第2指とでリングを作り、左手の第1指を右手のリングの中にいれ、右手を下、左手(第1指を除く4本の指)を上にして、下腹部に当てます。(この手の組み方は、岐阜県臨済宗正眼寺等で指導されています。)

両手が重なった部分の感覚(暖かみ等)を「意識野の中心」に定めて保持します。呼気の時には、両手の重なった部分の感覚を利用して息を1から30まで数えます。吸気の時には、両手の重なった部分の感覚を「意識野の中心」に保持してますが、息は数えません。  

 

その2、脚の位置は前述の通り。

腰を伸ばしながら、上半身はやや前傾し、両手を両膝の上に覆いかぶさるように置きます。両手と接触した両膝の暖かみ等の感覚を「意識野の中心」に定めて保持します。呼気の時には両膝の暖かみ等の感覚を利用して息を1から30まで数えます。吸気の時には、両膝の感覚を「意識野の中心」に保持してますが、息は数えません。  

 

その3、脚の位置は前述の通り。

上半身を通常にもどし、腰を伸ばし、顎を引き、両手を両股の上に置きます。両手と接触した両股の暖かみ等の感覚を「意識野の中心」に定めて保持します。呼気の時には両股の暖かみ等の感覚を利用して息を1から30まで数えます。吸気の時には、両股の感覚を「意識野の中心」に保持してますが、息は数えません。  

 

この「三つの30の行」では、呼気の際には「数息」、吸気の際には「随息」が体験できます。更に呼気吸気共に息を数えないで身体の感覚のみで陳述的記憶を制限又は遮断することができるようになれば、参加者の「随息」は初期段階に達したといえます。

 

 第二は「三つの内言語法」です。

脚の位置は前述の通り。手の組み方を「法界定印」にします。

意識する部位は吸気の時は内言語によってそれぞれ異なりますが、呼気の時には後に述べる「赤丸」になります。息は数えません。  

 

その1、ナー・ムー法  

吸気の時に声を出さずに、「ナー」と「命門」に、呼気の時には声を出さずに、「ムー」と「赤丸」に意識します。  

その2、アー・ウー法  

吸気の時に声を出さずに、「アー」と「雲門・中府」あたりに、呼気の時には声を出さずに、「ウーン」と「赤丸」に意識します。  

その3、オー・ンー法  

吸気の時に声を出さずに、「オー」と「内迎香」に、呼気の時には声を出さずに、「ンー」と「赤丸」に意識します。吸気の時に「内迎香」では、微風が通るような微かな感覚を大切にします。  

 

坐禅の時、スースーと音がしたり、ハーハーと喘ぐようになったり、あるいは息が苦しくなるような人は、「三つの内言語法」特に「オー・ンー法」を体得してみてください。  

「法界定印」、「赤丸」、「命門」、「雲門・中府」、「内迎香」更に次の項の「水溝」などは画像を参照してください。  

 

第三は「赤丸」と他の部位との重畳です。

重畳とは畳を重ねるように、呼気・吸気共に「赤丸」と他の部位を同時に感じています。この段階から可能ならば足の組み方は「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」にしてください。手の組み方は「法界定印」です。この段階に至ると、その人は「随息」の後期段階に達したと言えます。  

 

その1、「水溝」と「赤丸」との重畳です。

前述の「内迎香」という部位では香を嗅いだり、空気の流れを感じたりしますが、いずれも吸気の時にしか感じられません。これに対して「水溝」は呼気・吸気共に意識できる部位です(特に室温が摂氏5度以下になると)。

このようにして、呼気・吸気の時「水溝」と「赤丸」の感覚を同時に「意識野の中心」に定めて保持しながら、宣言的記憶を制限又は遮断するのです。  

 

その2、「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」が可能な方の場合です。

「赤丸」と「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」の時挙げた足のアキレス腱又は脹脛で体の中心線上に来る部位との重畳です。二つの部位の感覚を同時に「意識野の中心」に定めて保持しながら、宣言的記憶を制限又は遮断するのです。 第四は、只々「赤丸」に意識して呼吸します。足の組み方は、可能ならば「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」にしてください。手の組み方は「法界定印」です。

この段階に至ると、「洗心」という言葉がつくづくと身に沁みて感じられます。この時、人は「止」の段階に達したと筆者は考えています。

 

「赤丸」について  

本論文では、これまでの禅の歴史の中では言及されてこなかった「赤丸」という部位を新たに提案しました。  

場所は、手の第1指と尺骨側の爪の先端部と皮膚との境、針等の極細い物を摘まむときに用いられる所です。

この部位には経穴(ツボ)名が付いていませんので、筆者の命名によるものです。この部位に意識しますと、局所的な拍動、暖かみ、しびれ、時には痛みをも感じられるようになります。

このような局所的な拍動、暖かみ、しびれ、痛みを「意識野の中心」に定めて保持しながら、呼吸に集中します。  

 

「赤丸」を提案した理由を以下に述べます。

1、組み手を「法界定印」にした時、この部位は身体の中心線上に位置するため、意識するのが簡単であること。

2、この部位は、針等の極細い物を摘まむときに用いられる所で元々極めて敏感な場所であること。

3、両親指の接点を「赤丸」にすると、両親指は自然と「臍下丹田」へと向かい且つ局部に集中することによって、眠気に対抗する力が強まること。

 

結語  

独自の人間形成の為の体系と発展してきた禅の修行体系の中で、ストレス・マネージメントの鍵になると考えられるのは、感覚と認識とを分離する技法の習得と考えられます。人は感覚の領域に留まる訓練によって、陳述的記憶によるストレス増幅作用を減じる事ができるようになります。  

 

筆者は、参加者が最終段階の「止」のレベルに達し易いように、「調身」と「調息」を応用したプログラムを提案しました。

 

手の組み方は「法界定印」にして、従来注目されていなかった「赤丸」に意識を集中することによって「止」の体得が容易にできるようになります。(足の組み方は「結跏趺坐」又は「半跏趺坐」にするのが理想的ですが)  

 

実際に、このプログラムもよって参加者の63%が短時間に「止」の体得ができるようになりました。筆者はこのプログラムがストレス・マネージメントの有力な一つになると考えています。  

 

しかしこのような評価は筆者から見た主観的な評価であって、今後は種々の尺度などから客観的評価が必要であると思います。

 

参考文献

1 立田英山著「人間形成と禅」(人間禅教団 出版部)

1 Wiooiam James "Talks to Teachers on Psychology and to Students on Some of Life's Ideals"

1 関口真大訳注『天台小止観』(岩波文庫